isiki

今、人生で苦しんでいる人へ。

 

どうも、百歩です。

 

ぼくが人生で最も絶望した時のことを書きたいと思います。

ぼくの青春を台無しにした思い出です。

 

「こんな絶望を乗り越えても頑張ってる人がいるのか」と

あなたに知ってもらって少しでもぼくの体験があなたの人生の生きる勇気に

なることが出来れば嬉しいです。

 

いつもと変わらない日常

 

 

夏休みでした。

当時、高校三年生のぼくはどこにでもいる普通の和歌山の田舎の高校生。

 

尊敬していた先輩が引退したことを理由に

ぼくも空手部を辞めたので

夏休みはほとんど毎日友達と遊んでました。

 

遊ぶといっても友達の家に集まってみんなでゲームをするか

一時間300円の格安カラオケに行くか

 

このどっちかです。

 

田舎の学生にとっての世界の限界ってこんなもんでした。

 

毎日同じ友達と集まって遊んで夜遅くまで語って・・・。

その日もそんないつもと変わらない日常になると信じていました。

 

 

予備校の帰り道

 

「帰り道 フリー画像」の画像検索結果

 

ぼくは進学を考えていました。

ぼくは大学に行ってもう四年間親に面倒を見てもらうつもりでいたのでした。

 

ただ、当時の僕の学力ではギリギリ入れなさそうな

大学に進学を希望していたため

ぼくは予備校に通ってました。

 

でも、本当の理由は当時好きだった子が

その予備校に通っていたからです。

 

こんな不純な動機で予備校に

通い出したのがいけなかったのかもしれません。

 

夏休みの集中講義。

 

ぼくはテキストを忘れたことに気付いたのです。

 

幸い、授業が始まる前だったので

原付で家にテキストを取りに帰ることにしました。

 

それが運の尽き。

 

「落ち込む フリー画像」の画像検索結果

 

そこからは何があったのか覚えておりません。

 

目撃者の話によると

ぼくは中央分離帯で右折しようと前の車が途切れるのを待っていたらしいです。

 

そこに背後からワゴン車がゴツンと。

 

衝突でぼくのヘルメットは脱げて(ちゃんと被ってなかったのです)

フロントガラスに思い切り頭をぶつけて8m先までぶっ飛んだそうです。

 

いやー、飛ぶんですね、8mも。

 

そのまま地面に叩きつけられて頭部損傷。

これは警察の人に説明された話です。

 

そして救急搬送。

 

「救急車 フリー」の画像検索結果

 

病院に到着するまでの間、

かろうじてぼくの意識はあったようです。

 

救急隊員の人とも会話していたそうです。

 

話しによるとぼくは救急車に乗るのを嫌がり

帰ろうとしていたそうです。

 

事故現場は予備校の目の前です。

 

多分、後輩や同級生が野次馬として見にきていたと思います。

 

それで僕は強がったんでしょう。

そう思います。

 

しかし、病院についた途端に事態は一変するのです。

 

ぼくは気を失い、「いびき」をかきだしたのです。

 

実はこの「いびき」。

かなり危険な状態らしく急いで病院は母を電話で呼び出しました。

 

「息子さんの意識があるうちに一刻も早く来てください」

 

「クライアントとの電話対応クライアントとの電話対応」[モデル:ひろゆき]のフリー写真素材を拡大

 

母は病院から実際に電話でそう言われたそうです。

 

母にとっては青天の霹靂です。

 

母は父亡き後、実家の自営業を継いで

その日も普通に仕事をしていたと思います。

 

そんないつもと変わらない日常に病院からの一本の凶報。

 

親不孝。

 

もし母がこれを読むことがあれば、

謝っときます。

 

「おかあさん、あの時は心配させてごめんなさい」

 

そして、母は病院でぼくの容態について医師から説明を受けました。

 

「非常に重篤(じゅうとく)な状態」といわれたそうです。

 

「輸血同意書にサインをお願いします」

 

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