第二章 ―救急病棟―

 

ぼくが目を覚ました時、
ぼくは身体障がい者になっていました。

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どうします?

起きたら障がい者だったら。

 

最悪でしょ?

 

人生終わったって思いますよね。

 

果たして僕は救急病棟で目を覚ましました。

障がい者になっていました。

しかし、その時のショックは覚えていません。

 

その時のぼくは感情むき出し人間でした。

理性の欠片もない赤ちゃんの高校生バージョンです。

四六時中大声で泣きっぱなしだったそうです。

 

でも、そりゃ泣くでしょう。

起きたら障がい者になっていたら誰だって。

 

最低の目覚め。

 

最低の目覚めですよ。

 

笑えない事実です。

 

その時は身体障がい者になりたてほやほやだったので、

当然リハビリも受けていません。

 

つまり、障害の重さが半端なかった。

 

おまけにぼくは二週間以上も飯も食わず筋肉を動かしていなかったので

85キロあった身体は50キロにまで痩せ細ってしまいました。

 

それも相まって目を覚ました時の僕の身体は植物状態でした。

 

「身体がピクリとも動かない」

 

それはどんな恐怖だったでしょうか。

おまけに言語にも重い障害が残ったため、

自分の名前すら人に話しても「え、なんて?」と聞き取ってもらえないような状況でした。

 

リハビリはすぐに始まりました

 

「リアル リハビリ」の画像検索結果

 

最先端の医学はすごいですね。

 

リハビリはぼくが目を覚ました時から始まったのです。

「交通事故は事故後3ヶ月が勝負」。

医学界ではこんな常識があるそうです。

要は3ヶ月以内にリハビリをして身体を元に戻さなければ、

それ以降リハビリをしてもほとんど効果はないということです。

 

だから、みんなもう僕の身体をはやく戻すのに必死。

 

それは家族や身内だけではなく、

医療スタッフのみなさんもそう思ってくれているように感じました。

 

始めのリハビリは「座る」ことでした。

 

「座る?バカな。それがリハビリかよ」

これを読んでいるあなたはもしかするとそう思われたかも知れませんね。

 

でも、座るって実は超高度テクなんですよ。

 

なぜかというと、ぼくは座れなかったんですよ。

ホントに。

 

身体がグラングランして座れないんです。

座るとか基本ですよね。

1歳児でもできます。

 

ホント、人間を一からやり直す感じでした。

 

そして歩き方を忘れる

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「座る」の次は「歩く」でした。

 

この歩くという作業は『座る』より激ムズテクニックです。

 

さすが人類だけが身に付けた技だけのことはあります。

みなさんは普段歩き方って意識されてますか?

 

まあこれを読んでいる人で

普段歩くときに「右足出してそれから左足を出して・・・」って

考えながら歩いてる人はいないと思います。

 

しかし2週間以上歩いていないと、

そんなことも分からなくなってしまいます。

 

つまり歩き方が分からなくなるのです。

 

「あれ、どうやって歩くんやっけ?」こんな感じです。

 

歩くってすごいことです。

だから杖を突いて歩けるようになった時は

楽しくて病院中を果てしなく歩き回ってましたね。

 

「歩くってこんな楽しいことだったのか」って思いましたよ。

 

階段を登れる喜び。

そんなんにいちいち感激していました。

 

でも、ひとつだけ残念だったのは

言語聴覚士が和歌山の日赤にいなかったことです。

 

当時のぼくは「あいうえお」すら忘れてしまっていました。

 

身内がしゃべれない僕とコミュニケーションを取るために

あいうえお表を作ってきてくれましたが、

文字すら忘れてしまっていたので

それでコミュニケーションも取ることは出来なかったわけです。

 

人の話しは理解できましたが、

自分の気持ちを人に伝えることもできかったのです。

 

正直、これが一番の絶望でした。

 

脳外科の先生に「これって治りますよね?」って聞いても「え?」と聞き返され適当な返事をされる始末です。

自分の気持ちを言葉にできない怒り、辛さ、恐怖、

一言では何とも表現できない絶望。

 

ぼくの人生の第二章は始まりは最悪だったのです・・・。

 

続く